ボリビアの首都ラ・パス。 街から市バスで40分程行くと現れる「月の谷」。 そこは、ゴツゴツとしたべージュ色の岩肌が一面に広がっていて、 宇宙船アポロが撮影した月面にそっくりだということで「月の谷」と名付けられた。 ここは観光地ではあるが、観光客がどっと押し寄せるような感じではなく、 私が訪れた時も他にちらほらと外国人の姿があるだけだった。 そのガランとした雰囲気がいい。 入場すると、すぐに目的の景色を見ることができる。 その為、そこから与えられるインパクトは大きい。 岩の上に立つと、眼下には水の干上がった川が見える。その高低差も魅力的だった。 少し遠くに眼をやれば、ラ・パス市街が見え、近くにも住宅の立ち並ぶ様が見られる。 それなのに何故ここはこの様な不思議な光景になっているのか。 まるで別の惑星に来てしまったかのような気分であった。 歩く道はきちんと確保され、整備されており、いくつかの休憩所まで設けられていた。 少し前までは、入場料も取らず、休憩所なんて物も当たり前のようになかった。 |
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観光地化に力を入れてしまった為、このようなことになったのである。 しかし、はっきり言って、この気遣いは私には無用だと感じた。 「月の谷」と言うからには、とことん月らしくしてもらいたかった。 人工物が視界に入ってしまうだけで、ここの景色を楽しむ側にとってはいささか不快で残念なものなのである。 しかし、なんだかんだ言ってもやはりここは素晴らしい場所だった。 街から数十分の場所にあるという点だけでも、十分に魅力的である。 その手軽さで「月面」を見ることができるのだ。 これ以上余計な物が増えないことを祈っている。 |
ボリビアは物価が非常に安い。もしかしたら、私が訪れた国の中でも一番かもしれない。
グアテマラが一番の貧困の国だと聞いていたが、食べ物も宿もお土産もグアテマラより安かったと思う。
お土産は、ペルーのとある町で大量に買い込んでいた。 |
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ペルーのプーノからバスでラ・パスまで行ったのだが、 ラ・パスに入った時の景色は忘れられない。 すり鉢状になっているラ・パスは、周りをぐるりと茶色の山に囲まれており、 中心に街がごちゃっと集まっている。 すり鉢状になっている街というのはよくあるが、ここは少し他とは雰囲気が違っていた。 バスがすり鉢の端を、円を描くようにつくられている道路を走り、 窓から街全体を見渡すことが出来たからかもしれないが、 私と同じような長期旅行をしている他の乗客からも歓声があがる程の風景だった。 首都と言うには小さく、それほど発展しているわけでもない。 何せひと目で見渡せてしまう程なのだから、この表現も嘘ではないと思ってもらえるだろう。 しかし、そんな中にも活気溢れる生活があり、たのし気に人々は暮らしていた。 豊かな生活というのは、国の豊かさとは比例していないのだということを思い知らされたのだった。 |
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ポトシの鉱山は、私が最も衝撃を受けた場所の一つだ。 ここでは、ポトシの住民や周りの村からの出稼ぎ男性が働いているが、 大体13歳くらいから働き出すらしい。 家計が苦しい者の中には8歳くらいから働く者もいるらしく、 まだ本当に幼い子供まで、空気の悪い鉱山で一生懸命働いていた。 彼らは月に貰える少ない休日を使い、街で沢山の食料を買い込んで家族の元に帰るのだ。 そうやって家族を養っているのだ。 この鉱山では銀やスズなどが採れる。 昔からここは労働条件が非常に悪かった。スペイン人がこの街の鉱山に目を付けてから、 ボリビアの民を労働者とし、ろくな食事や賃金も与えずに扱き使い、 散々搾り取ってこの地を捨てた。 何もかも奪われてボロボロになった人々は、 この鉱山にまだ鉱物があるということを発見したのだが、 昔からの慣習ゆえか、労働条件は全く改善されないまま働いてきた。 そしてある日、我慢し切れなくなった労働者達は一揆を起こし、労働条件の改善を訴えたのだ。 それが成功し、ある程度の改善がされたが、現状も良いとは嘘でも言えないようなものだった。 現在の彼らの給料は、1日あたり5ドル程度。 8時間3交代で食事もせずに、頬にコカの葉を詰め込み、それを噛みながら働いている。 |
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私の参加したツアーのガイドは、以前この鉱山で働いていたという男性だった。
彼は、8歳から10年間ここで働いていた。
其れ故、彼の案内する鉱山はリアルで、彼の話からひしひしと辛さや痛みなどが伝わってきた。 外国人の訪問が、現地の人々の生活のためになる。 よくあることだ。よくあることだけど、胸が痛い。 こういう場面には何度も遭遇したが、その度に胸が痛んだ。 なぜ私は旅行をしているのだろう。なぜ旅行が出来るのだろう。 彼らはなぜこんなにも一生懸命働いているのに、1日5ドルしかもらえないのだろう。 豊かな国とそうでない国の差はここにある。 先進国の日本に生まれた私が世界を旅行することができるのは、 当たり前のことと言われればそうなのかもしれない。 しかし、一般的な見方がそうであっても、 実際にここの人々のような生活をしている人に出会うと、 そういう「普通」な考えは一瞬にして吹き飛んでしまうのだ。 |
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理屈ではなく、ただただこの貧富の差が悲しくて堪らなかった。 気楽には見ることができず、しかし、私たちに何かが出来るということでもない。 また何かできたとしても、 彼らの世界には安易に踏み入ってはいけないのだろうと思った。 彼らよりお金を持っていることも、旅行をしているということも、 恥ずかしく思えてくる。そんな場所だった。 彼らは50歳で定年を迎える。しかし、小さい頃から空気の悪い鉱山で働いてきた為、 50代で亡くなってしまう人が多いそうだ。 働き詰めて生きてきた彼らの人生に、少しでも幸せがあったことを願うことしか出来ず、 無力感に苛まれると共に、自分の生き方に甘さを感じるのだった。 |
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悪魔 ポトシの鉱山の中には、左の写真のような像が飾られている。 蟻の巣状に枝分れした鉱山の中を進むと、 その一角の突き当たりに置かれているのがこの悪魔像だ。 鉱山で働く人々の間では、このような悪魔に祈りを捧げるというしきたりがある。 元来、土着の宗教では、地上は神の領域、地下は悪魔の領域と考えられており、 鉱山内の事故も悪魔がもたらすとされている。 彼らは、祭事などがある時はもちろん、普段からもここに来ては、 悪魔に煙草や酒、コカの葉などを振る舞い、 仲間が元気で働けるようにと、悪魔に悪さをさせないように祈るのだ。 この考え方には、正直驚いた。 発想の転換というやつだろうか。 自分達が悪魔の領域にいるとは、なんと大胆なことを考えるのだろう。 神ではなく悪魔に祈る。 ここにも、土着の「多神教」が息づいており、その片鱗を垣間見ることができた。 |
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コカ茶は、地元の人々の間で高山病に効くとされている。 私が少し具合の悪かった時、宿のおばさんが「高山病にはコレよ」と言って出してくれた。 お茶を飲み、葉っぱを噛めば一気に治るわよと教えてもらい、その通りにお茶を飲み、葉っぱを噛んだ。 お茶は、日本の煎茶を薄くして煎れたような味で、人によっては砂糖を入れて甘くして飲む。 日本茶に砂糖、と考えると違和感があるが、紅茶に砂糖の感覚で飲むと意外に美味しかった。 葉っぱの方は、多少の苦味はあるが噛めないことはなく、 なんとなく「良薬口に苦し」といった感じで効いているような気分になった。 なるほど、よく考えるとコカが高山病に効くというのは頷けることだ。 前にも書いたが、鉱山で働く鉱夫達は沢山のコカの葉をほっぺたに詰め込み、 少しづつ噛みながら苦しい労働に耐えている。 何故コカの葉を噛むのかという理由も、高山病に効くとされている理由と同じなのだと考えられる。 コカの成分による覚酲作用には、 「空腹を忘れさせる」「疲労感を薄れさせる」「眠気を忘れさせる」という効果がある。 この効果を利用して、拡夫達はコカの葉を噛みそのエキスを飲むことで、 昼食もとらずにタ方まで働き続けられるのだ。 そして、高山病にも、そういった覚醒作用の「麻痺」ということが、 効果的だとされているのだろう。 |
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ご愛読ありがとうございます。 これで「ボリビア編1」はおしまいです。 次のエピソードは「ボリビア編2」です。 引き続きお楽しみください! |
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