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スロヴェニアは、知る人ぞ知る洞窟王国である。 国内には8000以上もの洞窟か存在し、そのうちのいくつかが、現在スロヴェニアの観光名所となっている。 シュコシャンスカ ヤマ (シュコシャン鍾乳洞) は、世界遺産に登録されている非常に素晴らしい洞窟。 洞窟の中を見るのにかかる時間は二時間程。 洞窟内は、かなりの高低差があり敷地面積も広い。出口から入り口に戻るのにケーブルカーを使う。 二時間歩いた後で山を登るとなると少々厳しいので、このケーブルカーは本当に嬉しかった。 私は、旅の途中で出会った人の影響で洞窟に目覚め、洞窟があると聞くと行かずにはいられない程になった。 そんな私が訪れた洞窟の中で、この洞窟は最高だった。 後にも先にもここ以上の洞窟にはまだ出会っていない。 ここ程自然の造り出す美しさや広大さ、人間には手も足もでないものがあるのだということを感じることができる洞窟は、 他にはないのではないだろうかとさえ思う。 |
中の気温は13度。どこの洞窟内も気温は低く、あまり変化もしない。それゆえ、鍾乳石などがきれいに保たれているのだ。 鍾乳石の多くはまだ生きており、ボタボタと雫が垂れていて、時に頭や顔に当たる。 しかし、人々が通る場所の近くにある鍾乳石は、人に触られてしまい、手の油によって死んでしまっていた。 生と死がここにもあった。 |
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さて、鍾乳石にはいろいろな種類がある。 スパゲッティと呼ばれる天井から垂れている細く白いもの。 赤掲色でゴツゴツとしたもの。録色をしているもの。クリスタルで出来ているもの。 段々に水が流れているかのようなもの。きのこのような形をしているもの、など多種多様である。 それだけ見るのでも鍾乳洞は非常に楽しい。 この洞窟には多くの種類の鍾乳石が存在していた。 更に、ここの凄さはそれだけではない。洞窟内に川が流れ込んでいるのだ。 川の近くまで行くと、序々にゴーっという川の唸りが聞こえて来る。 その川の上、高さ40Mの所に橋が架かっており、そこから見る光景はとてつもない迫力だった。 さながらインディージョーンズのようなこの体験に、私は大興奮だった。 |
その川の名は「レカ川」と言い、洞窟内に流れ込んだ後、暫くは地上に姿を表さない。 しかし、イタリアのとある地点でまたひょっこり地上に顔をだし、 最後にはアドリア海に流れ込む。 そんなレカ川のロマンチックな旅を思うと、また一段とこの洞窟が素敵な場所のような気がしてくる。 このレカ川が洞窟に入り込む地点が洞窟ツアーの終了地点となっている。 そこには大きな穴が開いており、外の光と木々の緑が色詳やかに輝いている。 美しいとしか言えないような光景。 この出口が目に入った瞬間、誰もが溜息混じりの感嘆の声を洩らし、少しの間そこに立ち止まるのだった。 |
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私はというと、何とも言えない爽快感と、満足感、それに「神様!」とでも叫びたくなるかのような衝動に駆られ、 皆と同じように立ち止まってその景色に見入っていた。 それは多分、暗く深い岩の中にいたことによる圧迫感からの解放が理由だったのだと思う。 「自然」や「光」が神の恵みとされることを初めて理解出来た瞬間だった。 この洞窟にはもう一度是非行きたい。近いうちに。 |
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プレッド城(又は洞窟城) 街からおよそ10キロ離れたプレッド城に行くには、徒歩かタクシー、 もしくはヒッチハイクのいずれかの方法をとらなければならない。 通常は、子供達のスクールバスを利用して行くことができるのだが、 私の訪れた時期は夏休み期間であった為、スクールバスは運休していた。 私は歩いて行ってみることにしたが、10キロはかなりきつかった。 街を出ると、2キロ程で山道になり登り坂も多くなった。 |
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そんな中、山道の途中に小さな看板を発見。そこには「洞窟」と書かれていた。 そこは目的地まで後5キロ残した地点で、街で貰っておいたパンフレットにも載っていないようなところだった。 興味本意で行ってみると、そこにはまだ未開発の洞窟があった。 私は興奮し、中に入ってみることにした。真昼間だというのに入り口から数メートルで懐中電灯の出番がやって来た。 奥に一歩進む度、心臓はバクバクと脈打ち、妄想ばかりが膨らむ。 「動物の住処だったら」「地底人が襲ってきたら」など、今考えると間抜けたことをぐるぐると考えていた。 |
頭に水滴がぽつりと当る。かなり小さく狭い洞窟だった為だろうか。 生きた洞窟に包まれているという不思議な感覚に捕われた。 外よりも湿度が高くしっとりとした空気だった。 しかし、陽は入らない為、涼しく快適だ。鍾乳石を発見すると、それだけで感動した。 洞窟なのだから何も不思議なことではないのだが、 よくあるような、人の手が加えられて見せ物になっている鍾乳洞とは、全く異質な雰囲気を感じた。 それはきっと、勝手な思い込みやイメージが働かず、先入観も何もない状態でその存在に触れることが出来たからだろう。 手付かずの洞窟をガイドなしで探検できたことは、非常に貴重な体験だった。 |
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そうこうして、やっと辿り着いたプレッド城。 岩山に抱かれるようにして佇んでいる。本などで見るような薄っぺらなものではなく、圧倒的な存在感があった。 生で見ることの大切さをここでも痛感させられた。 城内部は、かなり後から手を加えたようで、真新しい木材などがピカピカしていた。 一室を使って新進気税の画家の展覧会も行われていた。 しかし、昔の城での生活もしっかりと残されており、ここでの暮らしぶりが見て取れる。 またそれと共に、罪人などの拷問所や処刑所なども城の中に存在し、それに使われたとされる器具などが残されていた。 更に内部に進むと、ある所から洞窟に繋がっており、急に空気の違った空間が広がっている。 城が攻められた時には、この洞窟の中に避難するという対策がとられていた。 現在、洞窟内はほんの少ししか公開されていないが、中はかなり深くなっているらしい。 洞窟内には別れ道も多い為、敵は袋のネズミとなってしまうわけだ。 |
もしかしたら、洞窟を抜け、山の裏側などに逃げたりしていたのかもしれない。想像するだけでも面白い城だった。 また、城の下には川が流れていて、そこにはもうひとつの洞窟が出来ていた。 そちらは非常に距離のある洞窟で、あまり手の加えられていない素朴な空間だった。 壁には、何百年も前のサインや悪戯書き残されていて、人々は遥か昔から洞窟探検を楽しんでいたのだという、 なんともロマンチックな思いに浸ると共に、こんな悪戯書きなら悪くないとも思うのだった。 |
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シュコシャン鍾乳洞の外には、こんな絶景が広がっている。 断崖絶壁の上に建つ古い教会。 下を流れるレカ川。 緑豊なこの景色を眺められるだけでも、この場所を訪れる甲斐はある。 でも、やっぱり景色は写真では伝えきれない。 |
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洞窟の魅力はどこにあるのだろう。 自然の力や美しさを見せつけられるところだろうか。 地底探検へのロマンだろうか。 それとも、太古からの自然の営みにより生まれる洞窟という空間で、 今と昔を味わうことができるからだろうか。 きっと全てが魅力で、 全てが人の潜在意識の中に存在することだからなのだろう。 遥か昔に地殻変動で出来た隙間から、 長い時をかけて造り上げられる鍾乳石の美しい造形美。 それを目の前にすると、人間のちっぽけな存在が 自然に与えたあらゆる影響を考えさせられる。 |
「自然」というは、本当に自然に息をしている。 昔の人々は、録や土や水などのことを「自然」と呼ぶ他、 何も手を加えずに自由な様のことを「自然な」「自然に」といった形としても使用した。 それは、本当の「自然」の持つ意味を理解していたから出来たことだ。 しかし今の世の中にはそれが理解されていないような気がする。 自然の中で自由に暮らすことが一番良い。しかし、今の社会ではそれは難しい。 洞窟は、私にそんなことを考えさせてくれる場所である。 自分の生きる空間の中で、できる限り自然に、 素直にいることができる人となりたいと思うのだ。 |
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ご愛読ありがとうございます。 これで「スロヴェニア編」はおしまいです。 次のエピソードは「東ヨーロッパ編」です。 引き続きお楽しみください! |
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