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image03 ESTUDIO en XELA
「XELA」と書いてシェラと読む。 シェラとは、グアテマラ中部にある街の名前である。 現在は名称を変え「ケツァルテナンゴ」と言うが、 未だにシェラと呼ばれ、又、記載されることが多い。
私は、この街で1ヶ月間のスペイン語留学を経験した。 この街は思い出深い街なのだ。
ここは、なんと言っても授業料が安い。
私の場合、学校でのマンツーマン授業とホームステイ、 更に1日3回の食事付きで、1週間100ドルだった。

こういったホームステイなどがセットになったスペイン語学校は中南米に多数存在し、 外国人が引っ切り無しに訪れている。 授業は1日4時間。先生には、英語を喋る人は少なく、 ほぼスペイン語のみで授業は進む。

スペイン語を勉強するには、 まず基本単語を覚えるところから始めなければならない。 これが英語を勉強するのとは違う大変なところだ。 どういうことかと言うと、例えば「犬」は英語で「DOG」だ。 こんなことは今の世の中、幼稚園児でも知っている。 しかし、スペイン語ではなんと言うのだろうか。

これはスペイン語を勉強したことがある人でなければわからない。 つまり、こういうことなのだ。 簡単な単語をいちから頭に入れなければ、授業が進まない。 必死になって単語を覚えることから始まったのだった。

発音については簡単だった。綴りをそのまま読めばいい。 いくつか例外はある(Jはハヒフヘホの発音、Hは読まない等)が、 それが解ってしまえばわけはない。 英語よりもずっと単純で、日本人にとっては発音しやすく聞き取りやすい。 例えは前ページにあるタイトルは、「エストウディオ エン シェラ」と読めば〇。 我々にとってはとても馴染みやすい言語なのだ。

英語と殆ど同じ綴りで同じ意味の言葉などもラテン語には存在し、スペイン語も例外ではない。 例えは、「駅」は英語で「STATION」と書き、「ステイション」と発音する。 一方、スペイン語では「ESTACION」と書き、「エスタシオン」と読むのだ。

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こういった単語は数多くあり、勉強する身には嬉しいことである。
また、こういったものがあるから、ラテン語圏の言語が母国語の人や、 一つでもラテン語圏の言語が話せる人は、他のラテン系の言語を習得しやすいのである。

このように、 私は一からスペイン語を学んだのだが、 1ヶ月の学習を終えた時点で、 旅をする上では困らない程度の スペイン語を話せる程度までになっていた。 やはり、学んだことをすぐに使う場がある。 使わなければならない状況がすぐにやってくるということが 上達への最短ルートなのだと感じた。 この1ヶ月のお陰で、その後の旅がスムーズになったのは言うまでもない。

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アニミズム。 太陽を崇拝する国、地域は沢山ある。 太陽の有り難さは、太陽信仰をしている国に行くとよくわかる。 陽が沈めば眠りにつき、登れば目が覚める。 太陽が出なければ作物は育たず、生活することが困難になる。 自然の中で生きる人々にとっては、その有り難みというのは非常なものである。

陽を浴びて人々は息をする。 雲の切れ間から覗いた顔に勇気や希望を貰う。 太陽のある日とない日とでは、人々の顔や体調に違いが出る。 雨がやみ陽が差すと、眠っていたエネルギーが身体に溢れるかのように 活力が湧いてくるのがわかる。 ジャングルでの生活を経験することで、 太陽を崇める心が自然なものなのだと感じることが出来た。

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グアテマラやメキシコなどにいる先住民のマヤ族。 ほんの数年前までグアテマラで繰り広げられていた 内戦によって、 多くのマヤが殺されてしまった。 少数民族というだけで差別され、人間としての存在価値を 否定されてきた彼らは、そのような過去を引きずりながらも、 自分達のアイデンティティを失ってはいない。

カラフルな民族衣装を纏い、日々を必死に生きている。 表面だけではわからない、 「少数民族」であるということの大変さを垣問見ることができた。


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グアテマラ内戦から10年

1990年から1996年まで、グアテマラは内戦を繰り広げていた。 グアテマラは軍事国家だったのだが、若手将校がアメリカ寄りの政治方針に不満を持ち、 ゲリラ活動を開始したことから、ゲリラ対政府軍という構図で内戦が勃発してしまった。 グアテマラは、人口の過半数をマヤ族が占めている。 内戦での被害者は殆どがマヤ族の人々で、その18%は子供だったという。 そして90%が非戦闘員だった。 これだけでも、どれほど凄惨なことが行われてきたのかが想像できてしまう。

マヤの暮らす農村部は「ゲリラの温床」として軍の攻撃を受け、 ここからマヤに対するジェノサイド(大量虐殺)にエスカレートしていった。 80年代前半には、400以上もの農村共同体が地図上から消減した。 大量の死亡者、行方不明者、難民、避難民を出す結果となった。 内戦が集結して10年になるが、未だに民族への差別、社会的不正義、 貧富の格差などの問題は未解決のままである。

マヤの人々を見れば「貧困」というのはすぐにわかる。 都市で暮らすマヤはそこまでではないかもしれないが、農村部で暮らすマヤは本当に貧しい。 服は黒ずんでいるし、顔も非常に年老いて見える。

仕事をしたくても仕事はなく、畑で採れたものを売ったりしながら 生活する人々がとても多い。
そして、一番ショックだったことは、貧困故に 自分の子供を何百ドルかで売り飛ばしてしまう親がいるということだった。

マヤの女性は、14歳位から子供を産み始め、10人以上子供がいるという人も少なくない。 沢山子供を産むのは働き手を増やす為だというのは事実であり、一般的な考え方だ。 日本人にとっては考え難いことかもしれないが、貧しい地域では、 生きていく為に必要な考え方なのである。

しかし、その延長線上なのかどうかははっきりとは明言できないが、 子供を売って生活の足しにするということが少なからずあるというのは、 非常に悲しい事であり、私はショックを隠せなかった。

発展途上の国々は、あらゆる問題を抱えている。 先進国の持つ問題とは全く次元の異なる問題であり、 先進国に生きる人々には到底理解出来るものではない。 しかし、そのような私達の想像も及ばない問題が、 彼らには直接身に降り掛かってくる問題なのだ。

現在、この問題は明るみに出ておらず、 水面下での事件となっている。 民族差別などが一日も早くなくなることを願うばかりであり、 何も出来ない自分にやるせなさを感じるのだった。

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グアテマラを始めとし、中米の国にはこのような「チキンバス」と呼はれるバスが多く走っている。 このバスは、アメリカのスクールバスの中古車の再利用で、 塗装をやり直してあるものも多いが、乗ってみると至る所に英語で部品の説明などが記載してあるのが目に入る。 乗り心地は、基本的に悪く、長距離を移動する時にお尻が痛くなるのは必至だ。

しかも、「2人掛け」「3人掛け」などというのはあってないようなもので、 入るだけ人を詰め込む。 隙間があれは乗り込むというのが普通なのである。 その為、席が確保できた時には、隣の人と密着し、 出来る限り小さくなって座らなければならないことが多い。

逆にこのバスの良い点はと言うと、なんと言っても乗車賃が格段に安いことだ。 4時間程の長距離でも200円ほどで乗れてしまう。 この国の人にとっては、なくてはならないものなのだ。 それにしても色鮮やかなチキンバスは、見ているだけで楽しくなる。 乗り心地が改善されれば、と期待せずにはいられない。

ご愛読ありがとうございます。

これで「グアテマラ編」はおしまいです。

次のエピソードは「ペルー編1」です。

引き続きお楽しみください!

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