image03
エジプト・バハレイヤ白砂漠 エジプト、バハレイヤ白砂漠
砂の下は石灰石。真っ白な石灰石が雪のように見える。 きのこのような石灰石の盛り上がりが無数に存在し、この場所を不思議な空間にしている。
ボリビア・ウユニのイスラ・デ・ペスカ ボリビア、ウユニのイスラ・デ・ペスカ
塩湖の中にある島。そこにあるのはサボテンだけ。 昔、インカの人々が植えたものだという。この島を観るのもいいが、この島からの眺めも最高。
ペルー・マチュビチュ ペルー、マチュピチュ
間違いなく素晴らしい遺跡。この風景を見る為には、かなり自分の足で斜面を登らなければならない。 しかし、そのことで精神も肉体も高揚している状態でこの景色を観ることができる。 もう感動するしかない。

世界遺産になるような絶景と呼ばれる景色。それには広大なスケールが欠かせない。 ひとつのまとまったものが大きな面積で目に入ってくると、 人は驚き、動揺し、感動する。 自分よりも遥かに大きなモノに対して、人は恐怖や尊敬の念を抱く。 そして知らないうちにそういう場を求めているのではないだろうか。

イタリア、アマルフィ海岸 イタリア、アマルフィ海岸
海岸線が世界遺産に指定されている。 海の青さが信じられないくらい美しい。
イタリア、マテーラ イタリア、マテーラ
歴史の古い洞窟住居の地区。 一度、新市街地に強制的に住民は移らされたが、 近年になってこの地区の重要性が再認識され、 住人を呼び戻す動きが活発になっている。 現在は半数ほどの住居が使われている。
ホリビア、ウユニ塩湖 ホリビア、ウユニ塩湖
塩湖が干上がり一面の塩の大地となった場所。 三角に盛り上がった山は、 塩を採掘する為トラックに積みやすくしたもの。 この塩の山は至る所にあり、この場所を一層引き立てている。
image03

信じて求める心は一緒のはずなのに。

image03 image03
 十字架は、キリスト教の象徴。 キリスト教の人なら、誰もが身に付け、指で十字を切る。 海外では至る所でその光景を目にし、神に祈りを捧げる人々を見た。 日本人は基本的に仏教徒の割合が多いだろう。 はっきり言い切れる人は少ないが、やはり「宗教は?」と聞かれると「仏教」と答える。 しかし、最近では「無宗教」と答える人も多い。 そういう場面を見ると宗教というものが嫌われてしまっているのだなと思う。

近年、世界では、カルト集団の突飛な行動や 宗教を言い訳とした戦争などのニュースが後を立たない。 そういうことがきっかけとなって若い人々が 宗教という言葉に不信感を抱いてしまっているように思う。

世界には沢山の宗教がある。 しかし、日本人以外で (キリスト教は多少あり)自分の宗教を卑下する人は少ない。 宗教論で他国の人々とかなり激しい論争になることもあったが、 日本人以外は他の宗教を認めようとはせず、ガンガン主張してくる。

それが手放しで良いことだとは思わないが、 しっかりと信じることができるものがあるというのは羨ましくもあり、 また、自分がはっきり仏教の事を言えないということも恥ずかしかった。

アウシュビッツ強制収容所

意外にも非常に美しい場所であったここは、かつて何万人もの人間を殺す為の場所だった。 ここを訪れたのは、その事実を実際にあったことなのだと自分に解らせる為だった。 自分の目で実際に見ることをしなければ、善も悪も私の中で真実になることは難しいと考えたからだ。

銃殺の場、ガス室、死体の焼却炉、拷問所、 殺された人々の遺品が集められた場所などを観て廻った。 なんとも言い難い怒りと悲しみとやるせなさが沸いてきて、勝手に涙になる。 そして吐き気に変わっていった。

アウシュビッツには世界各地から見学者がやって来る。 目立っていたのは、ドイツ人の団体とユダヤ人の団体。どういう気持ちでこの場に来るのだろう。 加害者であるドイツと被害者であるユダヤ。 ここは両者が共に訪れ、祈りを捧げる場所だった。 私が呆然と立ち尽くしていた横に、ドイツ人団体が来た時があった。 彼らは皆一様に真剣な面持ちで、このことは忘れてはいけない、 こんなことを繰り返さない為にも、忘れずに伝えていかなくてはならないと言っていた。

image03

人は世界中で殺しあいをしてきた。それは大昔から
今も尚続けられている。その度に数え切れない苦しみや悲しみが
生まれるのに、人間はまたそれを繰り返す。
人間に「欲」というものがある限り争いは起こるのだ。
どれだけ愚かな生き物なのだろうかと、
この収容所を前にして、心の底から思わずにはいられなかった。

人間の持つ狂気から目を背けずに受け止めなければならない。
それが、平和に繋がるのだということを痛感した場所だった。

収容者達がくぐった門。
門には、「働けば自由になれる」と書いてある。
左から3つめの「B」の文字が変形しているが、
それはこの門を作らされた収容者の密かな
反発だったと言われている。

image01   image01
image01

ボスニアは近年まで内戦が行われていた国。 私の訪れた国の中で一番最近まで紛争があった国だ。 かつて内戦を繰り広げていた国でも、時を経て人々は立ち直り、 新しく国を立て直し、明るく生きている。ボスニアも同じ。 まだ10年程しか経っていないが、人々には笑顔が戻りつつある。 強く生きようとしている姿が見られた。

1992年旧ユーゴスラビアから独立。 その後イスラム教徒のポシュニヤク人、ローマカトリック教徒のクロアチア人、 東方正教会のセルビア人の間で内戦が勃発。 領土拡張を巡って血で血を洗う戦闘を繰り広げた後、 1995年に国際連合の調停で和平に調印し、NATOの監視下に置かれた。

サラエボは、ボスニア内戦中に包囲され、集中砲火を受けた被害地である。 街を歩いていると、弾痕が生々しく残されている。 ビルにも、一般民家にも、フェンスにも弾痕はびっしり残っていた。 弾痕を見ながら送る生活を、この国の人々はどう思っているのだろう。 そう考えながらこの街を歩くのは、少々辛かった。

image01

左:このビルは、「スナイパー通り」に面して建っている旧共和国議会ビル。 多くの弾痕を見ることができる。 こういった建物は、あちらこちらに存在している。


アウシュビッツに引き続き、かつて凄惨な場所となっていた街に足を運んだわけだが、 その理由は、戦後間もない地で、人々がどのように暮らしているのかを見る必要があったからだ。

街行く人々は、 一見他の国の人々と変わらず生きてきたかのように見えた。 子供達は走り回り、若者はお洒落を楽しみ、お年寄りは広場でお喋りに花を咲かせていた。

そのような光景は、穏やか以外の何ものでもなく、つい最近までこの土地で争いが行われていたなんて信じられないくらいだった。 しかし、まわりを見ればそこかしこに銃弾の痕。 一気に非常な現実の世界に引き戻された。

戦闘は、街の中心地よりも郊外の方が酷かったらしい。 戦争での被害が最も酷いと言われるオスロボジェーネ新聞社のビルや、 老人ホームなども郊外にあった。その建物等は未だに残されており、 他国からの観光客が訪れる観光地となっている。

オスロボジェーネ新聞社は、 戦争中も一日も休まずに新聞を発行し続け、サラエボ市民を励ました。 その新聞は、市民にとって水ほどに必要なものであったという。 新聞社のビルは壊滅的な被害を受けたが、社員は地下に避難し働き続けた。 自分達の上で戦闘が繰り広げられている時に、 市民の為に働いている人々がいるということ自体が、 サラエボ市民の支えとなっただろう。

image01
image01

上の写真は、ラティンスキー橋である。 1914年、ここから第一次世界大戦は始まった。

当時ボスニアは、オーストリア・ハンガリーのニ重帝国の支配下にあった。 その皇太子夫妻がサラエボを訪れた時に、 この橋のたもとでボスニアの解放と南スラブ国家統一を望む セルビア人青年に暗殺されてしまったのだ。 青年がセルビア人秘密結社の一員だったことがわかり、 オーストリア・ハンガリー帝国は、ボスニア本国が裏で糸を引いているのだろうと考え 宣戦布告してしまったのである。 ボスニアがいくら個人の市民がやったことだと主張したところで、 もう収拾はつかなかった。 ここから戦火はヨーロッパ全土に広がってしまったのであった。

この橋のたもとには、セルビア青年プリンツィプの 皇太子夫妻に銃を向けていた時の立ち位置が印されていたらしい。 しかし、私が訪れた時には、それももうなくなっていた。

大きな戦乱を生んだこの場所は、そんなことはなかったといった感じに、 静かに時を刻んでいるかのようだった。しかし、この橋の周りもかつては戦いの地だった。

イスラムがセルビア人を殺し、セルビア人がイスラムを殺す。 ひとつの町が丸ごとなくなった。 男性だけが殺され、女性は相手の民族の子供を産まされた。 強制的に、それも自分の身内を殺した相手の子を身籠らされる女の気持ちを考えると、本当に涙が止まらない。

しかし彼らの中には、「お互い」が酷い殺しをおこなっていたのだという事実を知らない人もいる。 相手だけが悪いと思い込み、未だに相手のしたことだけを責め続け憎んでいる。 全ての事実を知らなければ、本当の意味での戦争終結にはならないと感じた。

image01
image01

現在もこの街には3つの民族が共に暮らしているが、やはりそれぞれの領地に別れてしまっている。 昔は隣にどこの民族の人が来ても仲良くやっていたのに、 「民族浄化」という名の戦争がこんな風にこの街を変えてしまった。 見えない境界線を挟んで暮らしている彼らの間に、 いつまた何がきっかけで紛争が起こるか知れない。

しかし、そんな危うい状態の中でも、人々は楽しそうに今の平和を過ごしていた。 そのように見えた。 無理しているのか?つくり笑顔なのか?そういった疑問が湧いては、それを否定する気持ちと共に消えていく。 きっと自然の笑顔なのだろう。彼らだってもう死人を出すことはしたくない筈だ。 そうであって欲しい。必死にそう願うしかない私だった。

ご愛読ありがとうございます。

これで「東ヨーロッパ編」はおしまいです。

次のエピソードは「グアテマラ編」です。

引き続きお楽しみください!

image01